2005.03.09  
   
 
 
 
   
 

No.05 「歪な表現」

井上:今、日本のアニメーションの本質みたいなことが問われているような気がするんですよ。これからさらに世界に向けて、ジャパニメーションなんて言われて―まぁ、実際には言われていないらしいけど―海外に受け入れられ始めているけれど、それはやっぱり日本のアニメーションの特殊性、歪(いびつ)性、どこか歪さ故に喜んでいる人達から受け入れられているだけのような気もする。本当に世界をマーケットに考えていくなら、もっと普遍的な表現を目指さないとまずいんじゃないかな、と。
 例えちゃうと大げさな話になるけれど、19世紀に浮世絵が海外に流出して、あちらの美術界で「ジャポニズム」が起こるわけじゃない。それは本来あるべき美術の形式からはとても考えられない、日本と云う島国で起きた、歪でゆがんだ、でも本当に深くて洗練された表現を初めて目にした時に、海外の人はあまりの歪さに驚いたんだと思う、多分ね。西洋人の発想からは出てこない表現―北斎の波がね、こうなっている―、リアルに考察したらあんな波は絶対出てこないけど、リアルな描写では描き出せないような、歪でおかしくて、だけど洗練されている北斎の素晴らしい絵の深さに驚いただけであって、そうではなく、同じ土俵で競争していたら浮世絵は駆逐されていたかもしれない。
日本のアニメーションが喜ばれているのも、それと似たようなものじゃないかな。島国のアニメファンのために作られた、歪な表現だけれど深みがある表現を、一種戸惑いを持ちつつも一部の海外の人達がね、喜んでいるだけのような状態だと思うんだよ。でも、これから世界にマーケットを広げることを考える場合に、それはどうなんだろうか。やっぱりアニメートならアニメートで、もっと本質的な動きを若い人も開拓していかないとダメなんじやないかな。俺達なんかは多分過渡期なんだよね。大げさな話しになったなぁ(笑)。

堀川:それはレベルの高い技術的な表現の話しで、まずアニメーターとして長く食っていけるかいけないかの基礎体力のつけ方に話しをもどしましょう。
井上:これは習慣づける訓練だと思うんだけどね。
堀川:井上さんに昨日いっぱい数値的なQ&Aをお願いしたんですが、まず物量の訓練、まず馬力をつけること。それから自己管理能力。レイアウトを描く時は必ずワンシーンを一通りラフで描いてからフィニッシュするそうですが。
井上:それはね、位置関係と対比の統一がシーンでとれないから。それは徹底したほうがいい。教育したほうがいい、教育すべきだと思うんだよね。
堀川:原画は意地でもカットナンバー順にやると云うのは?
井上:それはね、ちょっとね、いろんな人に意地っ張りだと言われるけどね(笑)。やっぱり行き詰まった時には順番飛ばすってのはアリだと思うよ。俺は本当に負けず嫌いで意地っ張りで、それが災いしている時もあれば強みになっている時もある。昨日話した鬼太郎(ゲゲゲの鬼太郎・第3作)のクラブのシーンを描くのに、あまりに分からなくて後回しにしたくらいで、レイアウトバックがされていなくて後回しにしたことはあるけれど、煮詰まったから飛ばしたっていう経験は1回もない。描きかけたのを途中で止めたことも1回もない。必ずフィニッシュする。テレビの仕事だと、どんなカットでも1カットにまる1日以上は絶対にかけない。これはね、ずっと守っていたけど最近「妄想代理人の8話」とテレビシリーズ「攻殻」で崩れた。テレビでそこまで求めているコンテはめったに無いから―特殊なBANK(この場合、他話数でも使いまわすスペシャルな内容のカット)カットのようなものを除いてね、『何が何でもこのカットを1日で上げるんだ』、みたいな意地でやっても出来ないことを求められるのって普通は無いから。テレビシリーズ「攻殼」くらいだと、単価に見合ったって言うのも変だけど、カット内容的にも多少クオリティーの高いことを要求されることも多いから別だけど、通常のテレビシリーズでコンテに問題が無いとすれば、やっぱり描く原画マンの頑張りが足りないと云うか、足りないのは頑張りだけじゃないと思うんだよね。要領よく凌ぐ技術が足りないんじゃないかな。


          No.06 「同列で競争していた人達は何処へ?」へ続く


 
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