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      2005.04.28  
   
 
 
 
   
 

No.22 「ヘタクソな人ダラケ」

井上:俺等が原画を始めたころは、動画をやりながら先輩の様子を見ていて、こんなふうに描くんだって云うのを見よう見まねで、もう、すぐ本番の原画に投入されて、初原画のときこそ下描きの段階で見せてねって言われたけど、それ以降はもう放ったらかしで、それでも許されるくらいやっぱりね、何ていうか、ゆるかったんだね(笑)。
 今は求められるクオリティーが高くなって新人が生きにくい。昔は下手っぴでもよかったんだけど、今も下手っぴ・・・って言うか(笑)その、上手ではない人はいるけれど、そう云う人達は許されないようなところがね。昔はそんなことはなくて、全然、もう、本当に、ヘタクソな人ダラケだったから(笑)。新人が未熟でも全然紛れてたんだね。
堀川:二原(第二原画。原画と動画の中間的なポジション。現在では第一原画で動きのタイミングと必要な原画が全て指示されていることがほとんど)システムで勉強したと云うようなことは無かったんですか? 二原と言っても、現在の第一原画のクリンナップ的なものでは無いと思いますが。
井上:今は二原って本当に(第一原画の)清書的なことだけだよね。それをいくらやっても、まぁ、意識の持ちようによって違うと思うけど、原画マンとしての(動かす)力はつかないと思うよね。昔は原画が荒っぽくて(原画枚数が少なくて)、例えば座っている絵から立ち上がる絵に動かすのに、原画が2枚しかなくて、原画的な動きを動画マンが描くようなことを日常茶飯事にやっていたから、動画マンが原画に近いような中割りをする過程が、自然と原画を描く訓練になっていたと云うことはあったかもしれないけど。
堀川:今、そんな原画を上げたら演出から戻ってきますよね。
井上:そうだね、そうそう。基本的に今、動画マンは充分にチェックされた原画を渡されるので、動画には創造的な余地はほぼ無いよね。いい原画であれば機械的に中を割るだけで。
堀川:でも、その時代の(原画に近い)中割りの動画って、原画を描けない人達が描くのだからそうとう酷いものも
井上:無茶苦茶になってるモノもあったよね(笑)。現にあったと思うよ。
堀川:へー!
井上:例えば、炎の原画が一枚だけって云うのは本当によくあったんだよ。一枚原画で(動画)7枚の繰り返しって云う指定があって、残り6枚は動画マンが描く。それは一種の原画の研修みたいなことをやっているわけじゃない? 素養のある人にとっては、それは原画の訓練になったかもしれない。それを今の時代に持ち込むのは難しいよね。今の動画に原画の訓練を含めるのはちょっと難しい。
堀川:崩れた中割りは、昔は観客にも判らなかったと思うんです。でも、作り手のレベルアップに伴って観客の目も肥えてきたと思うんです。これだけジブリ作品が大衆に受け入れられて、毎作品1500万人もの人が映画館で観て、テレビで日本視聴者の半分が見ているとなると、あの品質が観客にとってアニメーションの標準、あるいは比較基準になっちゃったんじゃないかと思うんです。いろいろ許されなくなった(笑)。僕が「平成狸合戦ぽんぽこ」や「おもひでぽろぽろ」を映画館で観た帰りのエレベーターでは、観客が「すごくリアルな絵だったね」なんて感想を語り合っていたけれど、最近のジブリ品質についてはそんな感想も聞かれないでしょう? 
井上:それでイコール見る目が肥えて、見る側のレベルが上がったと云うことではないと思うんだけどね。
堀川:もう昔の酷い中割りを見れば判るんじゃないかなぁ。
井上:確かに、それはずいぶん荒っぽいって印象にはなるだろうね。丁寧に作られたモノを見慣れれば雑なモノは見分けられるだろうね。でも、「丁寧」イコール「良いモノ」ではないから・・・。雑だけど「良いモノ」はいっぱいあるでしょ?
堀川:昔も今もアニメーションの仕事に携わる新人の技術には差が無いのに、高い品質を当たり前に要求されるようになった今は、確かに新人には大きな負担かもしれませんね。


No.23 「言葉にできた」−今の価値観−@に続く

 


 
       
           
           
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