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      2005.05.30  
   
 
 
 
   
 

No.36 「日本は常に迷っている」

堀川:東映長編時代には自分の描こうと思った動きを表現できていない、満足していなかったと云うことですか? 
井上:出来ていないと思うよ。小田部(羊一)さんとて満足はしていないと思うよ。
堀川:単に動きの硬い軟らかいじゃなくて?
井上:うん。日本ではかなり巧い人でもコントロールしきれていない所があると思うんだよね。それは、ディズニーではこう云う動きを描けばいいんだって云う美意識がハッキリしていて、それ以外はあんまり狙っていないようなところがあるし、想像だけでは再現できないような複雑な人間の動きはライブアクションで撮ってしまうようなところがあるから。日本人にとってそれはイヤなんだよね。ライブアクションで撮っていいよと言われても、できるだけやっぱり想像で、自分の頭の中で組み立ててそれに近づきたい。
堀川:それが得意だから、日本のアニメートの特殊な、得に視覚的快感のある動きを形にできたのだから、それはいいところでもあるんですよね?
井上:形に出来てはいないよね。
堀川:金田(伊功)さんの動きの快感って、頭の中で創造した動きじゃないですか?
井上:うーん、どこを探したって無いものだね。そう云うことが許されたことが、日本のアニメーションの特殊性、幅広さと云うか、1つの美意識に固まらずに発達したせいでものすごく多様化している。作画の美意識、理想の形式みたいなものが本当に多種多様って云うかさ、庵野(秀明)さんみたいなのがいいと思う人もいれば、磯(光雄)君みたいなモノもいい、沖浦(啓之)君みたいなのがいい・・・こう、未だに目標が定まっていないって云うかさ。ディズニーは黄金期のアニメートをずーっと理想としているところがあるんじゃないかなぁ。ブレてないって云うか・・・
堀川:ディズニーとフライシャーは全然違うんですか?
井上:フライシャーは、これがフライシャーのアニメートだっていうところに行き着かないまま、技術的にはハッキリ言って完成しないまま終わってしまったから。もうちょっとやっていればフライシャー流って云うモノが出来たかもしれないけど。まぁ、スーパーマンの何本かはフライシャー流って言えば・・・ディズニーとは全然違うよね。どちらかというと、そのズルズルとしたライブアクション的な動き、それをそのまま追求したかどうかはわからないけど。
 ディズニーには確固たる理想があって―黄金期に開発された優雅で流麗な動き―みんなあれが究極の理想だって、そこを目指してずっと良くしているようなところはあるね。みんなが共有できる理想が彼らのアニメーションにはあるんだよね。そこに当てはまらない人は出て行くんだと思うんだけど・・・ティムバートンとかね。だから技術的な迷いが無いって言うかさ。日本の場合は常に迷っているね。だからどんないい人が出てきても、俺の中では磯君が最高だな、と思っても、(スタイルが)違うね、小池(健)君のやつを見ると、小池君いいな、こう云う風に描けたらいいなってフラフラっとね(笑)、なってしまう。


No.37 「完成しない原因」に続く

 


 
       
           
           
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