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      2005.06.10  
   
 
 
 
   
 

No.41 「それだけではマズイ」

堀川:昔はスクリーンに映った汽車が駅に入ってきただけで喜んでくれた観客が
井上:うん、逃げたっていうからね(笑)、ドカーンと当たると思って
堀川:いつまでもそれだけじゃ満足できなくて、作る側も月にロケット刺したりドラマ仕立てにしたり、さらにモンタージュで盛り上げたりしてどんどん観客を刺激して行ったように、アニメーションも初めは恐竜が動いただけで大喜びだった観客が新しい刺激を求めてきたでしょう? アニメートだけじゃ満足いかなくなる。もっとドラマ的な要素を、もっとテーマ性を、新しい映像表現をって、もう、そう云う流れが当たり前なら、この先アニメートはどちらの方向へ行くのか? 動きだけじゃ観客が満足なくなっているのなら。
井上:アニメーションは動きの追求だけではないけれど、でも、今までと同じくらい動きの追求は常に・・・それはアニメーションをやる上でベーシックなことだから。初期のTVアニメみたいに、本当に枚数を使わないって云う時代がまた来ればね、まぁ、今でも一部はそうだと思うけど、映画(劇場作品用アニメーション)になれば、やっぱりある程度の動きを描き分ける能力が必要になってくるから。アニメーションをやる以上は絶対に必要な力だから、それがどこかで必要なくなるなんてことは絶対に無いと思うんだよね。
堀川:日本のアニメートの技術もかなりのレベルにまで到達して
井上:うん、技術的には完成しないままずっと来ているけど、それでも相当なものを描ける人が出てきているし、動きのコントロールと云う点でも、沖浦(啓之)君みたいにね、コントロールできる人が出てきているから
堀川:観客がアニメートに求めるもののレベルもそれにつれて上がって来て・・・観客って刺激に対して貪欲だから、もっと新しい、もっと上のアニメートを見せて欲しい・・・上のモノと云うよりも違うアニメーションの表現を
井上:いや、違うモノを見たいとは思っていないんじゃない? 意外に観客って保守的なところがあるから、あまり違う表現は受け入れないところはあるよね。物語を表現するに足りてさえいれば観客は、絵を動かすことに関しては貪欲じゃないと思うし、そんなに(アニメートに対しての)審美眼も無いと思うしね。
 でも、アニメーターにとってはね、それだけではマズイって云うかさ、ストーリーを表現するのに過不足ないことができればいいんだって思った段階で、あとは本当に、また退行していくだけだから。
堀川:それはある意味アニメーターが監督に闘いを挑むってことですよね。監督は意図を表現できるだけのアニメートさえあれば、余分な要素はいらないと
井上:思っている人は多いと思うけど、ようするに監督のやりたいことの邪魔にさえならなければ、より高度なことを日々鍛錬するのは全然問題にならないと云うか・・・アニメートに対する監督の審美眼にしてみても、高畑(勲)さんくらね、絵は描かないけれども的確に判断できる人がいっぱいいればいいけど、そうじゃないことの方が多いから。わりと自分で鍛錬していくしかないってことはあるよね。だれか立派な監督についていれば、アニメーターとしても上達できるってことでもないよね。場合によっては担当するアニメーターがその監督の足りない部分を補っていくくらいの、それくらいの気概はないとね。
堀川:うーん、僕には焦りばかりが・・・(笑)
井上:そうだよね。焦りすぎてるって云うかさ、何か形にしたいと思いすぎてるような気がするよ(笑)。


No.42 「会社に行けば同じ志の人が」(最終回)に続く

 


 
       
           
           
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