作画のとび箱  
 
 

 

  No.25 会社が出来ることは

吉原:システムとして授業のようにこれをやりなさい、あれをやりなさいって云うのは簡単、強制すればいんだから。なんだけど、実は強制すると強制されていることで安心しちゃう感があるじゃない? 実は今会社でやっているクロッキーもそう。言ってやりゃあやる、言われたことはやるけど、何か仕事に応用されているかって云うのはとても不安だよね。とにかく言われたことをやることで精神安定剤にしているようなところもあるんじゃないかな、そう云うものは自発的にやる心構えが伝わるのが嬉しいんだけど。本当は自然とそう云うことをやらなければならない雰囲気みたいなものが会社に漂うのが一番いいのかもしれない。理想だよ、すごく理想だけど。
今の子たちが自分のやった原画を画面で見てどう思っているのか、どう云うことをしてやれば、俺等がやってきたように面白く思えるのかって云うのは本当にわからないよ。俺等の時代は突出しちゃうのが自分の個性って云うのがあったけど、それだけじゃないと思うんだよね。自分の探求しているものを画面で面白く見るっていうのは。なにも突出して人と違うことをやったから面白かったと云うものではないと思うんだよ、本当は。例えば、地味なんだけど「この動き、いつもとるタイミングと逆にしてみました」とか、自分にしかわからない些細なことってあると思うんだよ。たまたまそれが意図通りの画面になっていたら、それは絶対作画としての面白味だよね。実はそう云う些細な探求って教えられるものじゃなくて、芽生えるものなんだよね。
堀川:俺は動画と平行してやる月一の原画課題は大将が言っていたように遊びでいいと思うんだよ。でもあれをやることで、シートの見方は確実に変わると思ったんだよね。カメラワークが何かとかさ、(動画の)ツメ指示が何かとかね。自分の原画につけたいカメラワークがあっても、どうフレームとタイムシートに指示していいか、初めてのときはさっぱりわからないと思うんだよ。動画をやっていても多分そこに意識はいっていないから。でも、一度でも課題で悩んだことがあれば、動画でそう云うカットがあったら『コレか!』って気づけると思うんだよね。「動画のうちにシート見て原画の勉強しておけ」って言ってもやらない。それは、原画を描いたことが無ければ、何に情報を絞って蓄えればいいのか分からないからだと思ったんだよ。
吉原:形式としてカリキュラムのようなものを構成しているのを見ると、一見いいことをやっているような気になる。ここで原画の遊びをやらせることによって、シートを見る機会ができる、とか。カリキュラムとしてはなんとなく成立しているんだけど、実際は全然体感できてないってことなんだよね。体感できていない、実感できないから苦痛なだけだと思うんだよ。でね、とにかく苦痛だけど、やってみたことが実ったときに初めてさ、これはこう云う意味があったんだと分かる。積み立て貯金始めたら、日々生活が苦しい上に更に苦しい。でも1年たって気がついたら、『わっ、知らない間にこんなに貯まってる!』って、そこで初めて意味があったと実感できた、みたいな。
原画に早くなれって言ったって、本人が死ぬほど原画になりたいと思わない限りは、たぶんそこは成立しないんだと思うんですよ。俺は実はわからない。俺は原画になりたくてしょうがなかったからさ。みんなそうなのかな、と思いきや実はそうでもないじゃない。分からないからやっぱりカリキュラムを義務教育のようにこなして安心しちゃう。順序立てれば覚えていくのかな、それは確かにそうだと思います。会社が出来ることってそこまでだと思うしね。とりあえずレールは敷いておいて、でもそこから先は自分でアレンジしてみたり、何か掴んで自分なりに探求していくようになってくれるのがベストなわけ。しかも、会社としてはそう云う意図でやってはいるけど、その意図どおりに伝わっているかはまた別問題なわけで、それはしょうがないと思うんですよね。ただ、やらないよりは信じることをやった方がいいのは確かですよね。そうするしかない。実は会社が一番もがいてみるしかないところで、出来るヤツは勝手に育つんだって云うのが本当だとしても、会社は良かれと思ったことを敷いておくしかないよね。

No.26 「『あの頃』の現場」に続く




 
 
           
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