作画のとび箱  
 
 

 

  No.26 「あの頃」の現場

堀川:会社として、後々こんなスタッフになって欲しいと云う俺の思いがあるんだよ。チームで作品に積極的に参加するアニメーター。それにはスタッフ同士の対話が絶対必要。でも、彼等の話を聞いていると、仕事で係わり合いを持つ、特に教える、教えられるという関係に非常にストレスを感じていると最近気付いた。
それでも、アニメーターが精神的に疲弊している原因は、作品に参加している実感が持てないことだとも分かってきたので、それを防ぐためにもやっぱり、技術の鍛錬は孤独な作業だとしても、多くのスタッフが創作に関わるアニメーションにはクリエーター同士の対話が絶対必要だと思う。そういう環境にしたい。そう云うチームにしていきたいんだ。対話を敬遠していては、それはできないからね。
吉原:たぶんそれは堀川さんが制作出だからかもしれないね。チームと云う感覚とか、これは絶対あると思うんだけど、堀川さん自身のモチベーションのためでもあると思うんだよね。自身今それが欲しいと云うことなのかもしれないけど。
振り返ってみると、協調性を持って原画をやってきた記憶がないんだよね。この作品をやっていることの自負って云うのは、俺が原画のときはなかったな(笑)。とにかく自分のカットは良くしようって、そればっか。
そう云う集合体が1つのチームとなって何かをやり上げたように見えるのは、むしろ傍から見えるものなのかもしれない。どちらにしても、個々の集合体がそのチームになる可能性はあるんだよね。だから堀川さんが言ったようなことを目指すにしても、まず個々がアニメーターの仕事を面白いと思えるようになるかどうかなんだけど。

堀川:「もぐらの歌」、アニメージュで連載された森やすじさんの自伝を最近読んだんだよ。そこに書かれている内容と云うよりも、文章から滲み出ている森やすじさんの、真摯な人柄と職人気質にやられちゃった。巻末の高畑勲さんの寄稿、「作画家森康二氏」に納められている「雑感」を読んだら鳥肌が立っておさまらなかった。何故だかわからないけど、寝ていてもあれを思い出す度に涙がこみ上げてくるんだよ。琴線を鷲掴みにする文章と人柄だね。
俺はどうしても、あの時代、東映長編時代の作り方が現場の理想としてあるのね。あのころのアニメーターって作画だけじゃなくて、その作品をどんなものにしようと云うことに力を注いでいるというか、アニメーターが創作に対してすごく前に出ていたって云うのかな。読んだものの知識でしかないんだけど。大勢のスタッフが同じフロアーに集まって対話ができた。あの環境がそれを可能にしたと思うんだ。分業が進んだ今の東京だと、まずあの作業環境を用意できないよね。
吉原:アニメーターがフィルムを支えていた時代だよ。今アニメーターの立ち位置をすごく考えさせられる。花形であったものが花形では無くなってきた部分もあるし。当時は本当の意味での役職がきちっと機能してたと思うんだけどね。ピンを通して服に止めただけのバッジだけじゃない。森やすじさんは本当の意味で作画監督だったってことだよね。「時代」で片付けたくはないけど、制作本数の需要から量産できる今のシステムに至っているわけだから、それが要因として絶対にあるわけで、あそこを理想とするとなるとONE-OFFのものを作るしかない。
堀川:その本に大塚康生さんの寄稿も載っていて、そこにポロッと書かれていることがある。あの頃のほうがよかったとよく言われるが、今でも「みんなで犠牲を払う覚悟がありさえすれば」って。これがどう云うことかだよね。

No.27 「その面白味を教えてやれるか」に続く




 
 
           
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