作画のとび箱  
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

No.27 その面白味を教えてやれるか

吉原:あのね、わからないけど、たぶん俺が最近一番感じていた協調性だとおもうんだよね、極論をいっちゃえば。実際に助けようと思ってやることと、相手が本当に助かったと思うことは別問題だと思う。目標は助けようと思ってやったってことじゃなくて、実際に助かったかどうかが重要なの。俺が今そうなんだけど、監督のためにやるよって云うのはもうよくて、実際に「すげー助かったよ、こう云うところでさ」って云うのが、監督から滲み出たときに初めて、『ああ、俺、役に立てた』って思える。ただ、そこに辿り着こうとするにはものすごく時間がかかるような気がするし、じゃあ俺も誰に対してでもできるのかっていったらやっぱりできないよ。
犠牲の精神って、作画は作画で作品に折り合いをつけなきゃならない部分。テメーの好き勝手なことがやれるだけじゃないからさ。協調性を持って仕上げることの面白味が見えていないんだよ。彼等にそこの面白味を教えてやらなきゃならないんだ。一からアニメーターと云うポジションの面白さを。色々膨らんできちゃって、歩留まりが効かなくなっちゃったものを一旦まっさらにして、君たちはこの作品の中で、こう云うものを上げて喜ばれているって云うモノの価値観を少しずつ変えないと駄目だと思う。そんな中でスターが出るって云うことが理想だよね。
堀川:俺はそれが「作品に対する貢献」って云うことを、アニメーターが作品参加のモチベーションにできないかって云うことだと思ったの。作画で暴れたい部分だけじゃなくてさ。作品に貢献しようって云う意識はさ、この作品に参加しているんだ、自分が作品の質を裏で支えているんだって体感できないと始まらないと思うんだよね。
吉原:そうだとしても、それは、どう言えばいいんだろうな、システムとして与えてやれるもんじゃないでしょ? それは本人がそれを感じるかどうかなんだよ。
堀川:俺はそれを感じられる環境が作りたいんだよ。たぶんあの東映長編時代の環境がそうだったと思うんだよね。大将の持っている本に載っているじゃない、スタッフが森やすじさんの作画机を幾重にも取り巻いて話を聞いている写真。あのスタッフの一体感に憧れてしまう。
吉原:あれも、あの一体感を作ることを目的にやっていないからなんだと思うんだよね。活気がある現場を作ろうと思ってやったわけでは無いと思うんですよ。森やすじさんが意思の統一を図るために、どうしてもやらなければならなかったことだったと思うんだよね。そうしないと伝わらないというものがあったと思うんだよね。よく言うじゃない、黒澤作品を作るよりも黒澤組を作る方が難しいんだって云うさ。
堀川:俺は単純に元気な現場を作りたいって云うのが一番のモチベーションだからさ。
吉原:そのために、じゃあどこから始めるかっていうのはものすごく難しいと思うんですよね。いけないことじゃないと思うんですよ。しかも、それをやりたいんだって惜しげもなく言える人は少ないはずだから。
堀川:その環境は今作りづらいと思うよ。
吉原:そこを理想とする、時代の差とアニメーションの業界の経緯を考えると、確かにそれをやろうと思ったら、離れ小島の田舎じゃないと無理だな。
堀川:無理でしょう? そう思う。東京でやるなら俺も全く別のアプローチになると思う。今関わっている作品でどう云う方法があるか模索しているんだけど。
その当時の中心世代、団塊世代を挟んだ30年、40年代生まれの人間とでは、だいたい持っているエネルギーの違いを感じるからさ、それは違うんだけど、当時の創作する熱気みたいなものは、ずっと僕の中で勝手に想像して憧れている部分がある。でも、そう言っているだけじゃ駄目なので、その今の形をどう作り上げるかに取り組むよ。

No.28 「育成者の姿勢(最終回)」に続く




 
 
           
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