P.A.Press
2019.1.18

越丸と畦道を歩きながら考えた[堀川]

 

 今回は、この1年の個人的な話を書いてみます。

 生後三か月になる黒柴の越丸(コシマル)を自宅に迎えたのは、昨年の1月21日でした。この名前は、P.A.WORKS制作のアニメーション【マイの魔法と家庭の日】に登場する犬からもらいました。普段はとっても可愛いヤツですがお転婆娘です。僕の掌に孔が開いてポタポタと血が垂れるほど噛みつきます。きつく叱ります。が、その日の気分でまた噛みつきます。叱ります。

 「オマエは、狸でもないのに、阿呆なの !?」

 以前家人に「山羊を飼いたい」と相談しましたが許可はされませんでした。代わりに「犬ならいいよ。でも、自分で世話が出来るよう、富山にいるようになったらね」という妥協案が示されました。

  P.A.WORKSを設立した2000年から18年間、平日の僕は東京のスタジオ勤務で、週末は富山に戻り兼業農家の生活でしたが、昨年2月公開の劇場アニメーション作品【さよならの朝に約束の花をかざろう】を区切りにして富山本社勤務に切り替えました。早速念願の黒柴を飼うことにしたのは、まあ、とりあえず犬を飼って動物の可愛らしさに家人が目覚めたところで、犬に似たミニ山羊がたまたまウチの庭に迷い込む、という戦略的偶然への回り道でもあります。

 ボチボチ制作現場で作品の企画にどっぷりと携わるところからは一歩身を引こうと何年も前から考えていました。P.A.WORKSにも若いラインプロデューサーが何人も育ってきたし、僕が作る『昭和臭がする』作品よりも、ファンの年齢層に近いプロデューサーの企画が今求められるものだと思うようになりまして。

 P.A.WORKSはおかげさまでオリジナル作品を作るチャンスを多くいただいて、僕も作りたい作品をいっぱい手掛けることができました。その贅沢に「このチャンスが貰えることに甘えるようになってはいけない。毎作品このチャンスが最後になると思って作ろう」と考えるようになりました。思い返してみると、この仕事を始めた制作進行のころは、自分の考えた企画を形にするのは妄想の中でしか出来なかったのにね。それが、いつの間にか現実になっていたのです。有難いことです。

 ここでP.A.WORKSの若いプロデューサーへも記しておきます。いま企画のチャンスを貰えるのは、まだ自分の力じゃない。今までスタッフが頑張って作ってきた作品の評価があってのことです。そのチャンスはいつも貰えるものじゃない。これから手掛ける一つ一つの作品からも、滲み出る君たちの情熱を見せて欲しい。次世代の若手がまたチャンスをもらえるように。

 脚本家の岡田麿里さんから思いがけず「監督をやらせて下さい」と話があったのは、そんなことを緩々と考えていた頃で、備忘録によると2014年2月17日のことでした。彼女なら監督も出来るかなと思ったので、いくつかの条件を提示してその場でOKしたところ、 僕の決意を見透かしているかのように、彼女はこう言い添えました。

 「堀川さんそろそろ引退を考えているでしょ?引退するなら最後のライン・プロデューサー作品をわたしに下さい!」

 ああ、僕の制作人生にトドメの引導を渡すのはあなたの役目でしたか。いやいや、ちょっと待って。僕にも心の準備というものがある。準備はしてきたさ。だけど、それが、なにも、今夜じゃなくてもいいんじゃないでしょうか?

 でもなあ…【true tears】で今のP.A.WORKSの作風を方向づけてくれたのも、【花咲くいろは】でオリジナル作品の道を拓いてくれたのも岡田麿里さんだし、その貢献と恩に報いることができるチャンスかなとも思い、その岡田麿里さんらしい口説き方も、望むところだと覚悟を決めて受けました。

 あれからもう5年近く経ったんだなあ。こうして2018年の春からはほぼ富山にいる生活に変わりました 。

 まれに勘違いされていることがあるのですが、富山本社勤務が隠居生活になった訳ではないんですね。僕はプロデューサー業の前に経営者だと自覚をしなければいけない訳で。会社を設立してからそこそこ時が経つのに、『アニメーション制作会社の経営とは』という問いとは正面から向き合ったことがありませんでした。

 長く人の心に残るアニメーションを作り続けたい、人を育てて理想の制作環境で真っ当な作り方をしたい、という思いは設立当初からずっとありましたが、会社の規模も小さかったので、製作予算内で楽しんで作っていれば大きな利益は出なくても作り続けられました。たぶん、プロデューサーが小さなアニメーションの制作会社を立ち上げるときに考えることは、みんな似たり寄ったりだったんじゃないかなあと想像しています。

 でもですね、社員が100人に迫ってくると、目指す目標を社内で共有するのにも、スタッフとラーメンでも食べながらついでに話す規模じゃなくなっています。アニメーション業界を取り巻く環境の変化も大きく、『まっとうに作り続ける』ことが年々きわめて難しくなってきていると実感しています。僕が制作現場で楽しんで作品を作っている場合ではなく、現場は若いプロデューサーに任せて経営者の担うべき仕事をしっかりしなければいけないと思うようになっていました。

 という訳で、昨年の春先からは越丸と散歩する出勤前の1時間は、経営のことを考えるようになりました。

 まず理念。設立から18年経ったP.A.WORKSが、アニメーションの創作活動で何を大切にして何を目指すのかですね。

 次はビジョン。理念を具現化する為の目標を社員に提示しよう。それから、ビジョンを実現する戦略を立てよう。

 日々越丸と散歩をしながら、冬の雪に埋もれた畦道で、春のカエルが跳ねる畦道で、夏の草深い畦道で、閃いたことや、これから思案したいことを半年間記録しながら考えを纏めておりました。

 その繰り返しから気づいたことがあります。これは今まで制作現場でやってきたオリジナル作品のストーリー作りと似ているなあと。僕らが向かう目的地を決める。途中で遭遇する数々の障壁は何か。どうやってそれを乗り越えるか。何が戦う武器になるのか。王道の冒険譚を考えるのと同じで、アレコレ考えている時間がだんだん楽しくなりました。

 「ああそうか。リアル【SHIROBAKO】で武蔵野アニメーションの戦略を描くと思えばいいんだ!」と気づいて小躍りしまして。アニメーション制作会社の冒険譚を考え、現実に行動しながら僕らが答えを探し続ける問いは、「これからアニメーション制作会社が向かう先に、僕らは灯りを灯すことができるか?」じゃないかしらん。

 作品の企画は「こんな物語を作りたい!」と、周りのスタッフに披露したときに、「面白そうだ」と手を叩いて貰えると手応えを感じるし、なにより自分が面白いと自信を持っている企画は、人に語る言葉にも熱がこもります。込み上げてくる感情で言葉に詰まることだってあります。それと同じように、経営戦略をストーリーにして語るときに、自分の語りに熱がこもっているか、「それが実現すれば面白そうだ」と周りを巻きこめるか、ということばかりを考えるようになりました。

 正直に言えば、まだ何かアイデアが足りない、スパイスが足りないと、今も迷いながら考え続けています。リアル【SHIROBAKO】の挑戦をもっと面白く、人を巻き込む力強い戦略にするストーリーですね。

 フィクションとの違いは、冒険譚の最終話で目指した目的地に辿りつけるかは、やってみないと分らない、ということです。散歩中にふと思いついたアイデアを呟くと、越丸が耳を澄ませて振り向いたりもします。

 昨年8月の頭だったかな。制作業務部長の相馬プロデューサーが、給湯室の自販機で珈琲を淹れている僕をつかまえて真顔で言ったのです。

 「会社がどこに向かおうとしているのかを若い制作に示して欲しいです」

 今までビジョンを明確な形で社員に提示してこなかったのは、経営者の怠慢です。

 「まず理念とビジョンと戦略のたたき台を提示するよ」と請けあいました。

 越丸と半年間畦道を散歩しながら構想していたストーリーを、実行するときが来たんだと思いまして。

 
堀川憲司

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