P.A.Press
2019.1.25

P.A.養成所のこと。若手アニメーターの育成のこと。 【前編】 [堀川]

 P.A.養成所は職業訓練所のようなものだからキャンパスに非ずなんだけど、先週末に本社でオープンキャンパスを開催しました。薔薇色のキャンパスライフとは対極的な僕らの有頂天LIFEだって、「ほどほどにパラダイスだ♪」って歌った人を僕は知っている。

 という訳で、今回は2018年4月に開所したP.A.養成所のことに触れます。ついでに、P.A.WORKSでの若手アニメーターの育成について、現時点での僕の考えを整理する機会にしよう。

 2017年から本社のアニメーターを全員社員にしました。それ以来、P.A.WORKSでの若手アニメーターの育成方法はどう変わったのか。以下の3つの順に振り返ろうと思います。

  • 動画の仕事をしながら原画の学習をする方法を見直してみた。 
  • 若手を育成するのは誰? カリキュラムを作ったほうが効率的じゃないか。
  • 育成に掛けた時間とコストと期待は、いずれ報われるのか。

『動画の仕事をしながら原画の学習をする方法を見直してみた』

 P.A.WORKSは2000年の設立以来、アニメーターの育成、中でも原画マンの育成に力を注いできました。動画マンが原画マンになるためには、ひと月に規定枚数以上の動画を何度か描いて原画試験を受ける資格を得る。その上で試験に合格すれば原画マンになれるという決まりでした。

 会社が目標にしたのは、プロパーの原画マンを50人育てて1班5,6人の作画チームを作り、TVシリーズを作画チーム単位のローテーションで回すという計画で、人材不足で荒れる制作現場を安定した作画チームの力で支える、真っ当な作品作りを目指していたんですね。それが、あまりうまくいかなかった。原画マンの人数は望むようには増えません。そんな制作体制が実現するのは、僕の夢の中だけなのか?という話ですね。諦めるものか。

「原画試験の合格基準が厳しいんじゃないですか? もっとチャンスをあげては?」

 フリーの作画監督からそんな優しいアドバイスを受けたこともありますが、原画試験では合否の技能レベルを判定するポイントがハッキリしています。原画マンになって仕事を請け負ったときに、最低限必要な基礎が出来ているか、いないかです。絵が上手い、下手というような、評価者によって基準が変わる曖昧なものではありません。

 おそらく彼らは、日ごろから原画マンになるために必要な基礎知識と、技能修得の時間があまり取れていないんじゃないかというのが僕の推察でして。ところがどっこい、アニメーション業界の大方の原画マンは、動画の仕事ノルマをこなす中で原画を描くノウハウを学習して原画マンになってきたのも事実です。僕にはアニメーターの経験が無いので甘いのかなあ。

 動画マンは原画マンのアシスタント的なポジションです。昔のアニメーターが原画の生産性を上げるために、一連の芝居を作画する中でポイントになる絵とタイミングを押さえておけば、他の作業はアシスタントに任せても完成形が大きく原画マンの意図から外れることはない、という経験から生まれたポジションだったのでしょう。なるほど、黎明期のアニメーターは一人で原画も動画も全て描いていたようですしね。そのころは原画、動画といった工程の区別も無かったんじゃないかな。

 余談ですが、動画工程が生まれたその歴史的経緯を巻き戻さなければならなかった原画マンたちの話を、クリエーション部の吉原部長が、思い出話をするようにオープンキャンパスで語っていました。

 「昔のアニメーターの原画枚数は少なかった。それでも社内で直接指導している動画マンに動画の中割りを任せられれば質が保てた。それが、海外に『(動画と仕上げを纏めて発注する)動仕撒き』が始まった頃から、原画マンは動画の上がりを直接チェックすることができなくなった。そうすると、少ない原画枚数では中割りで作画が崩れることが頻繁に起きた。作画崩壊ってやつだね。原画マンはそれを防ぐために、社内の動画マンに任せていれば本来は描く必要がなかった絵も原画にすることで絵が崩れるのを防いだ。当然原画枚数が増える。(原画の数がその分上げられなくなるので)食えるわけがない」。

 動画は作画の質を上げる他にも、原画の生産性を左右する大切な仕事だったんだね。吉原部長の言う『海外への動仕撒きが始まった頃』は、1980年代後半のことかなあ。僕が制作の仕事を始めた1990年には既に成田空港から海外に大量に送られていた記憶があります。

 話をもどします。原画マンのアシスタント的なポジションで仕事をしながら、動画マンは原画の描き方を修得します。動画を実践で沢山描いて、描きまくって、多用なパターンの素材から原画を描く知識を吸収します。

 模範はずっとそうだったとして、現状は少し違うんですね。スケジュールや単価や動画のキャパシティーの比較から、現在は動画も仕上げ(彩色)も、かなりの割合で海外に発注されています。ある中国の動画会社に聞いた話では、経験1年の動画マンで、800枚が1人あたりの月産ノルマなんですって! 国内の動画マンの平均月産枚数は、多く見積もってその半分でしょうね。動画の平均的な『質』は国内動画の方が上とはいえ、海外の動画の質も30年前に比べればたいそう良くなっていますし、そもそも動画データをサーバーでやりとりできるようになってからは、海外に真っ当な『質』を要求できるだけの納品スケジュールで発注しているかと言えば甚だ怪しい。単純な仕上がりの比較は公正さを欠くと思う。

 制作スケジュールに余裕がなくなるほど、制作会社は海外のスピードとキャパシティー頼みになります。海外動仕撒きの仕上がりは作画リテークになる割合も高く、国内の動画マンは、大量に発生した動画リテーク作業の援軍に回ることもしばしば。これでは国内の動画マンに正規の仕事を安定供給することができず、若手が育つ環境とは言い難いのです。

 この問題は長い間アニメーション業界で指摘されてきたことですが、国内の動画キャパシティーをはるかに超える作品本数の需要が続く現状では、大きく改善する見込みは暫くなさそうです。

 もう1つの要因は、動画マンの雇用形態がもたらしてきた意義と危機。動画マンは1枚描いていくらの出来高契約がほとんどです。動画の仕事を始めてから、枚数を沢山描いてまあまあ稼げるようになるまでの数年間は、動画の収入だけで生活するのは甚だ厳しいという現実があります。その逼迫した状態を可及的速やかに突破したいと願う動機が、スピードの修得を助勢するという育成の側面も間違いなくあるのですが、1日のほとんどの時間を『食べるために早く描く』作業に費やす生活が続く中で、時間をかけて手元のカット素材を検証したり、原画の描き方を学ぶ時間の余裕は僅かなものじゃなかろうか。

 プロとして仕事を始めたアニメーターが、『原画マンになりたい』という強い目標を見失わず、僅かな学習のチャンスを2年、3年と積み重ねて、晴れて原画マンになるまでに潜り抜ける過酷な試練には、その先に待ち受ける原画マンになってからの上位の試練に立ち向かい得るだけのタフな精神と、作画の基礎体力と、大きな武器となる成功体験の自信を手に入れる為のイニシエーション的な役割があるようにも見えます。

 アニメーション業界を鉛筆1本で生き抜いてきた先達が、自らの経験を元に「お前たちもこの崖を登って来い。その先に道は拓ける」という徒弟制度的若手育成方法の歴史がベースにあるように思います。

 とはいえ、これから就職する若者がアニメーターを職業に選びたくなるようなアニメーション業界の環境を目指さなければ、僕らがアニメーション作品を作り続けることができない未来が、呼んでもいないのに猛烈な勢いでやってくる。傍からは、特殊で過酷な因習故にアニメ村から若者が去り、このまま消滅する運命を待っている限界集落みたいに見えているのかしらん?

 この小さなコミュニティーが存続するには、製作費が向上するよう外部に向けて経営努力を重ねるのはもちろん、内部に対してもこれまでの業界慣習の見直しに挑戦してみなくちゃな、と考えているところです。

 話を戻しますね。実践的な原画の知識と技能修得のための学習と訓練期間をまとめてとった方が、原画マンの育成に成果を上げられると考えています。その手段として、P.A.WORKSは養成所を設立しました。なお、その期間に動画(P.A.WORKS過去作品の素材を使用しています)の作業を通して作画のフィニッシュワークに対するこだわりと審美眼を養います。動画マンの作業に配慮した原画を描けるようになるためには、やはり動画の経験も大切でなんですね。これらの基礎技能修得には、効率的なカリキュラムを組んでも最短で1年間は必要なようです。

 P.A.養成所の説明でひとつ付け加えておくと、カリキュラムを終了した後に、P.A.WORKSの入社試験を受けるかは、本人の希望に委ねられます。

 堀川憲司

【中編】に続く

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