P.A.Press
2005.3.1

第2回 井上俊之 業界トップアニメーターに聞く-アニメーターの養成について-

同列で競争していた人達は何処へ?

堀川:それ(物量をこなすこと)は基礎を学ぶ上で何かを頑張ればできるようになるって云うようなものなんですか?

井上:間近で見ているわけじゃないから、具体的に何が足りないって言葉では言えないけど、普通のレベルで考えてもやるべきだと思うんだよね。「井上さんは特殊なんですよ」って言われちゃうとそれまでなんだけど、決して俺は同世代の中で、それほど早かったわけでもないし、特別自分が技術的に高いとは思っていなかったんだよね。いつの間にか「アンタ、日本一だよ」なんて、―自分で言うと変だけど―言われたりするけれど、それはおかしい。自分が23、24歳のころに同列で競争していた人達は何処へ行ってしまったのか。 40歳を過ぎて、アニメーターとしてね、原画マンとして、俺と同じ位置にいる人が少なくなった。俺と同じくらいの力を持った人は何人もいたし、今もいると思う。何らかの事情がね、家庭があって、子供がいて、原画だけに専念していたら食べさせていけませんよ、なんて云う事情があるのかもしれないけど、確かに同世代のライバルは減って、寂しいと云うか、悲しいと云うか、そうあっちゃならないと思うんだよね。

堀川:つまり、馬力をつけるには同世代のライバルがいることが大切?

井上:あたりまえ。そうそう、すごく大切。やっぱりね、上の人がどんなに凄くても、目標にはなるけど、その、同世代って日標じゃないんだよね。競い合う仲間だね。その「競い合う」って云うのが一番大切かな。

堀川:目標となる人がいることが大切だとも

井上:この人のように描きたいと云う目標は大切ですよ。昨日(P.A.WORKSの動画マンに)聞いてね、なかなか具体的な名前が出ないじゃない。俺はそのことが不思議なんだ。今は1本の作品に参加する原画マンが多すぎて、(エンドテロップを見ても)どの人が上手いカットを描いた人なのか見つけづらいよね。それで、なかなか目標にしたい人を見つけられない。(ProductionI.Gで)井上塾をやって、そう云う情報が行き届いていないとは思った。 自分の好みに合う上手い人には、やっぱり目の前を走っていて欲しいんだよね。俺が原画になったころは森本晃司さん、梅津泰臣さん、なかむらたかしさんとか。俺とは全然違うタイプの作画をするんだけどね。当時の森本さんはバリバリ一原画マンとして冴えたシーンをいっぱい描いていた。今ほどオリジナリティーを発揮してはいなかったから、あくまで一原画マンとしてね。自分の中には全然無い、思いもしない発想で描く人と、自分に似た思考で自分と似たタイプだけど、自分よりも技術的に高い人、この2種類の憧れになる人が持てるといいと思うんだよね。ようするに、自分の好きな人だけ追っかけると、自分の都合のいいように都合のいいように、自分に無いものは全然求めないから、確かに‘スゴイ人’にはなっていくかもしれないけれど、オールマイティーさは無くなっていくような気もするから。でも好きなアニメーターすら具体的にわからないんだから、きっと目標になる人は見つけられていないんじやないかな。

机蹴飛ばして地団駄踏んで

堀川:育成環境にお手本になる人がいることも大事だと思うんですよ。どんなペースでどれだけ、どんな手順で描いているかを見せてあげられるような。

井上:それも大事だよね。

堀川:近くで見ることができるのは大事なんです。うちが初めて動画マンを採用した時に、最初の目標動画枚数を月500枚にしたんですけど、先輩もいないので「月に500枚も描ける人がいるなら、どう描いているか見てみたい」って。

井上:そうだよ。見たことないんだから、言われたって『ウソだろう』って(笑)、困っちゃうもんね。

堀川:原画でもそう云うお手本になる人がいるといないとでは違うんですよね。「この人は才能が違うんだよ」って言われちゃうと終わっちやうけど。

井上:今ね、すぐそう言っちやうんですよ。まぁ、本心でそんなふうに言っているんじゃないと俺は信じたいけど、「いやぁ、あの人は特別なんですもん」、とか「あの人は才能があるから」って口で言うのは構わないけれど、内心は違ってて欲しいな。そうは言ってても家に帰ったら机蹴飛ばして、「チクショウ!どうしたらあんなに描けるんだ!!」ってふうに地団駄踏んでて欲しいんだけどね。そうでない限りまず伸びないね、数字も、技術も。

堀川:15年くらい前だと、テレビシリーズ月80カットをこなす‘できる原画マン’を目標にしていたと思うんですよ。

井上:俺らの時代だと、月半パート(約150カット)やって一人前と言われていたのね。「井上君遅いな、遅いな」ってずっと言われ続けて、せいぜい月100カット、20年くらい前のテレビでね。先輩の原画ってやっぱり簡単に描いてあるの。どこかで『それくらいの原画だったら確かに頑張れば半パートできるかもな』って内心思っていたけれど、でも、それでは満足できない。やっぱり、いっぱい原画を描いて豊かな動きにしたいなと思っていたからね。数字の上でも先輩に追いついて、クオリティーではその上を行きたい、と思っていたから、なかなかそれは両立できなかった。
最近の傾向を見ていると、クオリティーで勝っていれば、数字はそんなに気にしていないように見える。それがすごく気になるんだよね。競争するなら数字で並んでクオリティーで勝たなければ勝ったことにはならないから。スポーツのようにはっきりとした力関係みたいにはいかもしれないけれど、数字で並んでやっと同じ体格のクラス、そこでクオリティーで秀でたものが勝って前に出て行くって云う姿勢じゃないと。今はクオリティー主義みたいになって、クオリティーさえよければって。確かに磯君ほどの才能を見せられるならば、数字は伴っていなくても全然存在価値はあるかもしれないけれど、それはね、難しいですよ。

でも、そこに甘んじるか」

井上:最先端の技術を見ちゃうと、どうしてもそれを追いかけて数字がどんどん下がっていく。それはマズイ。

堀川:作画の成長過程は質から量にはいかないんですよね。物量を上げられるようになってからクオリティーを追及することはできるけれども、その逆は見たことがない。

井上:俺達の同世代でもそうなっている人はけっこういるね。それなりに数字を上げていた人が、後にクオリティーに向かって行ったために、数字がどんどん下がっている例はあるけど。

堀川:クオリティーを上げるために、今までの描き方ではいけないんだと云うことがわかってしまうと、手が抜けなくなってどんどん数字が落ちていくんですね。

井上:でも、そこに甘んじるか、そうは言っても、その中でも数字に対するこだわりを持ち続けることによって、やっと数字が下がるのをくい止められるんだよ。クオリティーを追求すれば数字は下がると思うんだよ。それでも上を見続けていないと、現状をキープすることすら難しい。どんどん下がっていって劇場作品月1カットになってしまったりする。数字に対するこだわり、これくらい描きたいんだっていう願望を持ち続けないことには維持すら難しい仕事だから。「人よりいっぱい描くんだ!」って云う、「いいカットをいっぱい描くんだ!!」って云うのが、もう、最高のモチベーションじゃないとね。

べつに俺の働きが悪くても大丈夫だろう

堀川:P.A.WORKSのアニメーターを一流の原画職人にしたいんですよ。それで、その育成環境をどうしていこうかを考えているんですけど、井上さんは色々な現場環境を見てきた経験で、何か考えるところはありますか? ジュニオが長かったとは思うんですが。

井上:う―ん、振り返って見るとそれほどジュニオはスパルタ式ではなかったし、それでは長続きしないし、反動もくるような気がするし、環境‥・どうなんだろうな。まず、人数がいるのは大事だと思うんだよね。 20~30人くらい。今まで俺の見てきた経験で言うと、多すぎるのは良くない方に転んでいく。人が増えて、フロアが分かれて、ビルが分かれて分散しだすと、大抵そのスタジオに所属しているって云う意識も薄らいでくるから。アニメーター個々のノルマと云うか、能率がだんだん下がっていく気がするんだよね。大きな会社に所属していると、自分の働きが悪いからと言って、会社に対して影響を与えているんだと云うふうには考えにくくなっていくでしょ? 極端な話、2人でスタジオ持って家賃折半だったら、自分の働きが悪いと途端にスタジオを維持できないんだってことを如実に感じることができるでしょ? これがね、100人、200人になると、自分の働きと会社の維持が繋がっているんだって云う意識は薄れていくと云うか、ほとんどなくなっていると思うんだよね。実は全く同じ比率で個人の働きは大事なはずなんだけどね。みんな会社を大きくすることに本当に躍起になっているけれど、俺には何がいいことなのかさっぱりわからない。年商の大きさに騙させれそうだけど、たぶん個々の働き率で考えたら、コンパクトにやっている会社よりはすごく効率が悪いと思うよ。「べつに俺の働きが悪くても大丈夫だろう、デカイんだから」って。大企業にしてどこがいいのか。

堀川:経営側の意見ですけど、「君のカットが上がらないからウチは大変なんだよ」なんて考えたくないと云うのがあって、口ではガミガミ言わなきゃいけないとしても、そんなことでイライラしたくないんです。作画会社はやむを得ないと思うんです。カット数やった売上で会社を維持しているんですから。でもそうじゃない、別の利益で会社を動かす方向にもって行こうとすると、モノ言える会社になるためには、ある程度の規模が必要になってくるんです。

井上:俺は経営の知識は疎いからアレなんだけど、う―ん、どうなのかなぁ。

堀川:そう思ってくれる人がいることの方が僕はビックリですよ。

井上:仮にそういう形態になったとしても、そう思わせる教育は必要だと思うんだよね、僕は。人がいてね、その人達が仕事をやった働きによって維持していくんだって云うね。経験的に言うと作画は20人~30人くらいの規模の時が、スタジオとして活気があってね、どこの会社もうまくいっている、そう感じることが多い。

堀川:原画マンが30人ですか?

井上:原、動画合わせてかな。ジュニオは作画チーム一斑に、原画マンと動画マンが3人3人くらいだった。

堀川:動画マンもチームに編成されていたんですか?

井上:そうなんです。作打ち(作画打ち合わせ:通常演出と原画マンで行う)にも出るんです、動画マンも。当時はね、グロス(1本まとめて)で受けて、1本分の作打ちは1日で済むから、原画マン全員呼んで動画マンも同席して横で聞いている。それが勉強になるの。こんなこと聞くんだとか、こんなこと要求されるんだとか、勉強のために動画マンもつれていかれたと思う。絵コンテもチームの動画に一冊共同のものが配られていたから、作業している動画が全体のうちのどう云う位置にきていたのかは認識してやっていたと思うけどな。それはいいことだと思うけど、今それを復活させる、動画マンごとチームに組み込む環境は難しいかもね。
それと1つ、最近どこのスタジオに行つてもザワザワしているよね。それはまぁ、必ずしも悪いとは思わないけど。逆に仕事に対するマニアックな情報交換が最近あまりに無さすぎて心配だから。もっとそう云う話しで盛り上がるのはいいんだけど、どこに行ってもワイワイガヤガヤしているね。ジュニオは静かだった。仕事中は私語禁止と云う雰囲気はあった。フリーの知り合いが、―北久保(弘之)なんだけどね―スタジオ見学に来たときに、俺の机の横で原画の束を見せてたんだよ。
「怖い、ジュニオ怖い」(笑)。「なんでこんなに静かなの?」「今日は特別な日なのか?」って言われた覚えがある。「いや、いつもこうだよ」って言うと、「いたたまれないから帰る」って(笑)。

解らないとしかいいようが無いな

堀川:アニメーターが成長するための意識の持ち方ですが、各自が追求したい技術的なテーマを持ってね、自分はここが弱いけど、この人のこう云うところを盗みたい、とかね、常に吸収するためのアンテナを張っていた方がいいと思うんですよ。

井上:そうなんだよね。そうそうそうそうそう、そこがね。

堀川:そのテーマ、「それはあるだろ、オマエ!」って話で終わらないで、持つのがあたりまえなんだって云う‘社内環境’にある程度はしていきたい思うんですよ。

井上:う―ん。

堀川:考える‘社風’みたいな、考えないといられないようなヒリヒリした環境をね。

井上:本当は自然発生するもんなんだけどね、自分の中でね。

堀川:それをじっと待っていることには、僕の中でちょっと諦めがある。

井上:ああ、それは似たようなことを今(敏)さんがね、「結局何が問題かを教えてあげなきゃいけないようでは、もうダメだなぁ」って。問題意識は自分の中で持っているもんであって、疑問をもたせてあげるって云うのはちょっと難しいよって話をしてたんだけど、そうなのかもなぁ。

堀川:放っといても疑問を持つやつは持って、上手くなっていくやつはなる、じゃあもう大勢は変わらない。

井上:この状態はね。

堀川:天才やアニメ界のヒーローの出現を待っていてもしようがない。

井上:俺は言っておくけど、天才では絶対に無いですよ。特殊なことではない。俺みたいな人間はいっぱいいた。

堀川:それはいいことなんですけど、では、なぜそういう人が出てこなくなったのか。

井上:それは、解らない(笑)。

堀川:現場がもう育成する環境じゃなくなった

井上:う―ん、でも昔だって特に「育成する環境」って感じではなかったよ。

堀川:でも、フリーのアニメーター、腕を競う剣客みたいな人がいろんなところから集まって来たら、そういう技術論争が高まってもおかしくないですよね?

井上:う―ん、そうなんだよね。本当に解らないとしか言いようがないな。

堀川:昨日薦められたように、この作品は観るようにとか、この本は会社に置いておいて是非読むべきだとか、もしそう云う会社の環境作りでアニメーターがテーマを発見していくならやるべきだと思うんです。知識の吸収は置かれている環境で違ってくると思うんです。会社はその環境を作るところまではできる。クリエーターのテーマは教育して与えるものじゃないけど。

井上:作画のテーマを追及する思考も含めて才能だと言うのなら出現を待つしかないね。

堀川:レベルの高いところではそうかもしれないけれど、原画職人として食べていけるようになるくらいまでは訓練でなんとかなると思うんですよ。その上の才能は持って生まれたものとして。みんな疑問を持つことはあると思うんです。疑問に思ったことがあっても『あれ、おもしろいな、どうなってるんだろうな‥・』で大抵終わっちゃう。追求までいかない。それでですね、先日作画のミーティングに顔を出して動画マンに話しをしたんです。今まで毎週「鋼の錬金術師」の放映を見で‘作画に限定して’討論してたんですが、放映が終わってしまったので、これからは週1回自分がみんなに観て欲しいDVDを持ち寄って討論することにしたらしいんです。そこで、ただみんなで観るんじゃなく、自分がもってきたDVDで、人に観て欲しい作画のポイントを人前で語ってみろって言ったんです。人前で語るとなると、「おもしろいけど、どうなってるのかな」じゃ済まなくなる。一度頭の中で整理して答えを出して語らなきやいけない。例えば、昨日の「どうぶつ宝島」(1971年劇場公開作品)を観て、なぜ自分はこのシーンの原画を宮崎駿さんが担当したと考えたのか、他のシーンの原画とどこが違うのか、語るためにはいっしょうけんめい観て考えなきゃいけなくなる。知識として宮崎さんがどこをやったか知っているだけじゃ語れないんです。それで人前で語らせることにしたんですよ。

井上:そうだね、そういうことを試したことはないけれど、悪いことではないと思うしマイナスにはならないと思うな。

LOADING