P.A.Press
2005.3.1

第2回 井上俊之 業界トップアニメーターに聞く-アニメーターの養成について-

行き詰まりがテーマを生む

堀川:参考に井上さんが求めてきた作画テーマの変遷を語ることはできますか?

井上:具体的にはなかなかすぐには思い出せないけれど、その時々でね、行き詰まりを感じたこと、それを突破するために―テーマを探すんじやないよね―行き詰まりがテーマを生む。

堀川:例えば川面(恒介:P.A. WORKSの原画マン)は攻殻の原画で「描けないんです」って言うけど、「これに行き詰まっているんです」って云うようなものはあるの?

井上:それを言葉にはしづらいんじゃないかな。

川面:僕は結論は出ているんですよ。画力が足りない。

井上:画力に対する行き詰まりっていうのは切実なことなんだよね、実は。描きたい絵にならないって云うのは。でも、そう感じていれば上手くなるって云うのは変な根性論みたいだけど、自分の絵に不満がないと。これじゃないんだよな、うまく描けないなって云う気持ちがあるのは大事だよね。そこから先、それをどう解決するかは難しいけど、例えば自分が描きたいと思っている絵の種類でね、誰か別の‘あ、これが自分の描きたかった絵なんだ’って云うのを描いている人を見つけるとかね、‘あ、このポーズを描きたかったんだ’って云うのを見ることがやっぱり解決の糸口。‘あ、そこをそうやって描けばうまく見えるんだな’とか、ごまかし方を覚えるのはよくないんだけどね(笑)。
 でもね、‘その絵を無理に描かなくても、その前後を上手く押さえてやると、ほぼ描きたかった動きになるな’とか、ま、それは職業だから凌ぐ上での1つのテクニックでもあるんだよ。描きにくいポーズを描くことが目標じやないからね。自分の描きたい動きにさえなっていればいいわけ。あんまりバカ正直にその絵が描けないためにいつまでも完成しない方がマズイから。アニメーションはイラストじゃないからね、動いた結果自分の描きたかった‘動き’になっていればいいから。上手い人は難しいアングルを達者に描くじゃない、どうしてもそう云うのに憧れて、そのアングルをちゃんとあのように描かなきゃいけないんだと思ってしまうと、なかなか、そこはデッサン力の差がどうしても出てしまうから。そこを真向勝負しなくても実は同じような結果がアニメーションでは出たりするからね。難しい瞬間の絵を絶対描かなきやいけないわけじやないの。デッサンカでガチンコ勝負でもないんだよ。本当に動きのコントロールが上手い人がいて、絵はそんなに上手くないんだけど、効果としては抜群にすばらしい表現をする人もいるから。デッサン力では俺だって真向勝負したら沖浦 (啓之)君にはかなわないかもしれないけれど、そんなに引けを取っているつもりはないから、そこはね、自分の画力に応じたこなしかたを覚えていくと、そんなに‘動き’の効果としては変わらないものを作れるのがアニメーションの特徴でもある。明日までに上げなきゃいけない土壇場で、難しいアングル1枚で止まっている場合じゃないって時にはごまかしてでも凌がなきやだめだよね。でも、そうじやない時にはなるべく真向勝負する。その描きたい絵を何が何でも描くんだって云う意地も大切で、デッサン力はその過程で培われるところもあるから、及ばないまでも絶対その過程で力はつくから。描けない絵にもがき苦しむところが無いようでは上手くはならないよ。若いうちは何が何でも上手くなりたいって気持ちが画力を上げるんですよ。同時に上手い往なし方を覚えていかないとだめだって云うか、答えになっていないね(笑)。でも、どっちも本当のことなんだよ。

ちょっと足りなくてありがとう

堀川:絵力とは別にアニメーター‘は動き’の追求もありますよね。磯さんは井上さんの「GU-GUガンモ」を全部1コマ送りで再生したって聞いたんですけど。

井上:俺が描いたものを深読みしすぎてると思うんだ。彼は頭よすぎるんだよ。

堀川:さらに自分で‘リミテッドフル’で表現する新しい原画の描き方を発見したと云うことは、今、流通している原画の描き方では自分の描きたい‘動き’を表現できないんだって思いが悶々とあったと云うことですよね。それを持てるかどうかは

井上:生まれついてのものだよね。磯君の例えは特殊だからね。俺の見た中でも天才中の天才だから。

堀川:自分の描いたものに対しても不満はあると思うんですよ。俺って天才、と思っている奴でなければ問題意識はかならずあると思うんです。

井上:ある。必ずある。上手いと言われている人ほど、やっぱりあるよ。俺は自分の動きに満足したことなんかほとんど無いから。いつももっと満足したいと思って、それがずっと続けられているモチベーションの1つにはなっているね。満足することが無いんじゃ嫌だな、と思う人もいるかも知れないけど、だからこそ続けられるんだよ。そんなに楽しいことって無いよ。あまりに天才的な人だと早くに原画に満足してしまって、原画の仕事だけではモチベーションが保てなくなるってこともあるかもしれないけど、多くの人はそんな才能持ち合わせていないから。上手くなる、満足できる原画を猫くってことは本当に生涯のテーマになると思うんだよね。俺はいいですよ、飽きずに仕事を続けられている。本当にちょっと足りなくてありがとうって感じだね。

堀川:僕も目が肥えたのか、最近現場で『あれ?この人の原画は!』というものにお目にかかることがあまりなくなったんです。今は昔に比べて作画のパワーが落ちているとまで言われていますが

井上:みんな臆病になっているような気はするんだよ。演出に怒られないように無難にやっておこうと云う意識がひょっとしたらあるのかもしれない。もっと自由にいろいろ工夫した原画を描かせてあげると―そういうキッカケを会社で作って、意識して仕掛けるのもいいことなんじやないかな。今はね、ちょっと情報に対して頭でっかちになっているところがあるのかな。技術を情報として知っているだけで、習得しようと云う意欲が薄い。‘煙は巻き込む’ことは知っているけれど、是が非でも描いてみようと云うふうにはいかないのかな。それは出来る人が描く、住み分けがちょっと進みすぎたところがあるような気はするね。最近(原画の担当シーンの)振り方が得手不得手で決まっちゃうじゃない。メカシーンを女の子に振ったりしないでしょう?どんどん振ってみればいいと思うんだけどね。エフェクトだらけのシーンとか。

堀川:フリーは振ってもやってくれないんです。それは強制できないんですよ。シャーペンもメカだから嫌ですって(笑)。

井上:はははは、「私、メカやれません。電話機出てくるじやないですか、あれ、メカですよ」とかね(笑)。

煙だけはどうにもならんな

堀川:P.A.WORKS社員の原画マンには、得意、不得意と言う前に何でもとにかく描かせようと思うんですよ。いくら川面がモブ(群衆シーン)好きだって、モブシーンばかり描かせちゃいけない。

川面:‥・

井上:俺も煙が嫌いだったんだよ。

堀川:がっはっはっはっっ。はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!

井上:本当だって!! 「煙だけはどうにもならんな、上手く描けんな」、と云う時期が「アキラ」をやっているころまでそうだったんだけど、みんな上手く描いている。駄目だなーってむしろコンプレツクスだったんだよね。「老人Z」をやっている頃に、磯君の原画のコピーをチラッと見ることがあって、『あ、こんなようなフォルムで描けば上手くいくのかな』って云うヒントがその中にあったの。それまで煙のフォルムって、ポコ、ポコ、ポコで、影もポコ、ポコ、ポコって、全部こんな構成で描いてあって、それだと上手く立体感が表現できなくて、立体的な動きに持っていくことができない。それを自分では発明できずに困っていた。庵野さんの煙を見ても閃かなかったんだよね。上手く描いてあるけれど、どこか泥臭い感じだな、と思っていたけれど、磯君が洗練された影のフォルムを描いていたんだ。『あっそうか! 煙のアウトラインはこうだけど、影は別にこうつけてもいいんだ』と。煙の中に、こう凹んだ部分を影として描けば、こう云う立体がね、ウサギのウンチみたいな凹みとして考えれば、そう捉えれば上手く立体として表現できて、動きも描きやすいんだなって云うのがね、その原画を見たときに、『あっそれか!!』と思ったんだ。それからは、そう描こうとして、それでも暫くはなかなか扱いにくかったんだけど、「老人Z」や「走れメロス」で試したりして、コツを掴むようになってからはむしろ好きになってきたんだよ。もしあの時、苦手だからって避けて来たら、今もずっと煙が苦手のままだったかもしれないね。そう云うこともあるんだよ。自分の中に煙を上手く描けないって苦手意識があったから、磯君のを見たときに発見も早かったと思うんだ。ギリギリまで追い詰めて苦手意識まで植え付けてからでないと駄目なんだね。行き詰まったところでアンテナを張って、ヒントを掴むことにジリジリしていれば見つけられると思うんだ。

特別個性を発揮できる仕事じゃない?

堀川:昨日井上さんが、「自分のパートで‘我’が出ないようにやっている」と言われたこと、「個性は隠せないけれども、見ていてそのパートで引っかからないようにすることを目指している」って。そう云う意識は少数派だと思うんですよ。

井上:まぁ俺の場合、出したい‘我’がそれほど無いのは幸いしたと思うけど、最近ね、個性的でないと駄目だみたいな風潮がどこかあると思うんだよ。私も自分の個性を出さなきゃ、なんて決めてしまうとなかなか出せるものじゃないし、それが邪魔になるから。個性なんてね、長年やっていれば無理に出そうなんて思わなくても滲み出てしまうもんなの。それが個性だから。その個性が出せないでいるなんて云うフラストレーションを持たない方がいいよって云うつもりだったんだよ。それは僕の懸念があるからね。特に美大に行ったような子達は―どんどん入ってきて欲しいんだけれど―『自分なりの何かを表現しなきゃ』、みたいなね、ずっとそう云う教育を受けてきていると意識としてあると思う。アニメーションをやっても個性的な作画とか、個性的な動きとか、何か発明しなきゃみたいな意識に囚われてしまって、それがやっぱり足かせになる気がして。アニメーターは特別個性が発揮できる仕事じゃないから。取り立ててね。すぐに個性を発揮したいなんて思っていると、たぶん動画やっている間なんてもう微塵も出せないわけじゃない。そんなことに焦らなくてもいいよって云うつもりだったの。10年も原画やれば―そんなにかからないね―多少なりとも自分の個性って出てくるもんだよ。

堀川:アニメーター受けするキャラクターデザインってあるじゃないですか。今は原画マンを集めるのに非常に苦労するから、僕は作品を受けるときにこのデザインならどれくらいアニメーターを集められるんだろうかって考えちゃうんですよね。

井上:ここまで人手不足になってくるとアニメーターもいっぱい依頼がくるから、どちらかと言われれば描きたい絵柄を取るからね。アニメーターウケするって云うのは(発注側にとって)大事なポイントにはなっているね。

堀川:アニメ雑誌なんかを見たときに、そのアニメーター受けする絵柄と商品としてのデザインには正直ギャップを感じますよね。‘これを振らなきゃならんのか(驚)’って。

井上:それは経営者があまり考えなくても。商品として購買層から望まれていることは現場に要求していかないと駄目だろうし、現場はそれを受け入れるべきだと思うよ。それはみんな解って入ってきているだろうし、そんなに危惧しなくてもいいことじゃないの?むしろそこにやりたいことを忍ばせるって云うのは楽しみでもあるし、そこすら楽しみって云うかさ、そう云う仕事だからね。

堀川:『(こんな人が目の前に)!!』それを自分から受け入れるよう意識をコントロールすることが、アニメーターが疲弊している現状では理想ですよね。理解はしていてもトップダウンで押し付けられてばかりではモチベーションも磨り減ってしまう。‘そこにやりたいことを忍ばせてやるぞ’と自主的に受け入れるだけで、全然疲労度も違うと思うんです。自分で仕掛けていくわけですから。この現状では大事なことの1つですけど、果たしてそれをどう経験させれれるか。

悪循環に陥っていく

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX
#04‘INTERCEPTER’ より

堀川:アニメーターは、‘絵を描くことで食べられればいいや’って云うささやかな欲求でこの仕事に就く人が多い。初めからお金持ちになりたいって入ってくる人はいないと思うんです。そこからもうちょっと、アニメーターでも充分食べていけるんですよ、と云うものを、富山なら一軒家に住めるんですよ、くらいのところまで持っていくためには、ギャランティーのことにこだわるのは良くないと言うんじゃなくて、アニメーターも、商業的な、経済社会の一員と云う意識をもっと持たなくちゃならないと思うんです。それを会社の方針を通して浸透させることが必要だと。

井上:でも、みんな願望はあるわけだよね。俺達の頃よりはギャラのことを気にしているよね。俺の頃はアニメーションの仕事ができれば、別に食えることは先輩を見ていればね、食べているんだから心配はしていなかったし、別に食えなくてもいいやくらいの意識が―好きすぎてね、アニメーションが―あって、ま、それは今から思えばマズかったなとは思うけどね。もっとアニメーションで稼いでいくんだって意識は持つべきだったな、と思うけど、今の人達は俺達の頃に比べたらむしろそう云う意識は高いんじゃないの?アニメーションの仕事をしながら、報酬もしっかり取っていきたいと云う意識は強くなったような気はするけどね。その為の努力をあなた達はしているのかって問えば、ちょっと怪しいなとは思うけどね。能率は今のままで報酬だけ欲しいみたいなね、それは、あまりにアニメーションの単価が安いって云うのが‘情報’として流通しすぎているところがある。ま、安いは安いけどね。‘稼ぎが悪いのはアニメーション業界が悪いんだ’みたいな、どこか言い訳にしているところがあるんじゃないかと思うんだよね。単価は昔に比べればずいぶん良くなりましたよ。

堀川:それは馬力が落ちているってことですよね?

井上:うーん、出来高でバンバン稼げている人がいるんだから、同じようにやれば稼げると思うんだよ、今でもね。単価は確かに今でも間違いなく安い。高くは絶対にないよね。じゃあ高く高くって要求すればいいのか?それはだんだん悪循環に陥っていくと思うんだよ。
 じゃあ、単価を高くする―それほど数をやらなくて済む―ますます数やらない―また食えなくなる―単価が安いからだって云う‘情報’が広がる―単価を上げろって云う欲求が高まる―(売手市場なので)単価はさらに高くなる、そうしているうちに段々効率が悪くなっていくような―テレビシリーズの単価は、どこら辺がいいバランスなのかわからないけど。

堀川:攻殻テレビシリーズでは、単価に見合う原画上がりは少ないんです。それは僕が今までの‘安い’単価を基準に見ちゃっているのかもしれないけれど。

井上:その人にとっては、それが‘私のペースでも食べられるギャラであたりまえなのよ’、と云う意識があるんじゃないの? それくらい貰ってやっと見合うんだって云うね。単価が少々高いからって描く原画枚数増やしたのでは食えない状況は変わらないじゃない。通常の単価で食えない人にとっては、描く原画は今まで通りで、攻殻の単価でやっと‘私のペース’に見合ったギャラになったって意識なんじゃないの?

堀川:原画枚数と単価のバランスの問題じゃないんです。上がりをもらったけど、演出、作監で全部修正しなければいけない。‘上手い人ばかりなら演出、作監は何やるんだ’って云う意見もあるかもしれないけど、せめて高畑勲さんが言うところの、原画と演出と作画監督とのアマルガム的共同作業(「作画汗まみれ」)にまではなっていないと、テレビシリーズでは稚拙な原画マンの‘作監殺し’と 一時言われていた状況が、‘演出殺し’にまで広がっている。とても担いきれなくなってきていると云う危機感があるんです。ここまで上がってきた日本のアニメーションの作画技術を、しっかり業界の若手に継承していかないと。

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